砂漠を駆けぬける

GSの父が、栄光の伝説になるまで

BMW GSを創造し、自在に操る才能に恵まれた者たち。彼らはバイクのためにオフロードトレイルを切り拓き、ラリーとオフロードにおいてGSをアイコンに押し上げた。そして、HPNの開発技術者たちはGSの父に出会い、伝説を今ここに蘇らせる。

BMWのラリーパフォーマンスの源流は遠く離れた地、ザイバースドルフだ。オーストリアとの国境にほど近い人口300人足らずの小さな町で、ザルツブルグから約70kmに位置する。アルフレッド・ハルフェルドとクラウス・ペパーレルがバイクブランドの「HPN」というラリーの帝国を創設した町だ。その名はバイエルを越えてドイツはもとより欧州全体に轟いている。1982年以来、この地を拠点として活動を続けている。当時、民宿だった建物を改装し、納屋をワークスガレージにした。かつて旅人の厩だった場所には現在、デザートレーサーが展示されている。

 

1階は倉庫として使用され、BMWラリー製品のスペアパーツが所狭しと大量に保管されている。何千というパーツが整然と管理されてはいるものの、新品同様のものから、ジャンク品のようなグレードのものまで様々だ。例えば、ガストン・ラヒエルの屈曲したスイングアーム。クラウス・ペパーレルにとってはガラクタだが、『パリダカールの勇姿』でもある。ラリーの歴史はこの場所の隅々でみずみずしいままだ。それらはHPNの歴史であり、パリ・ダカールラリーの歴史であり、そしてまたBMWボクサーの歴史でもある。失敗も数多くあるが、それも含めて成功の歴史と言えるだろう。ザイバースドルフの夜を徹した作業も、チームと過ごしたアフリカの砂漠も、すべてがスタミナ勝負の歴史だった。そのタフネスこそが、GSの生みの親たちの歴史なのである。

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灰から蘇る不死鳥のように

Six Days GSへの道

BMWテスト部門のエンジニアとして、ラズロ・ペレスは1980年、Six Days GSの立ち上げから携わる。

Six Days GSへの道

ラズロ・ペレスは意気揚々と中庭を通り、旧友たちとの再会を果たす。ブルーフレーム、ホワイトタンク、ブラックシートベンチ、イエローウィンドシールド。どれも当時のベストバイクがそのままの状態で維持・保管されている。1980年のSix Days GSのディテールをつぶさに確認しながら神妙な面持ちで「90%、我が子です」と語るBMWテスト部門の元エンジニア。「1977年、先代のGS 800を2人の同僚と完璧にリビルドしました。次のドイツ選手権に750cc以上のオフロードスポーツクラスが追加されることになり、BMW Motorradとしては、オフロードスポーツシーンに返り咲くチャンスと捉えたのです。」ラズロは上層部から、他のすべての仕事を免除され、プロトタイプの製作に3ヶ月間没頭するように言い渡された「シャシーから素材まで、全てにおいて新しい領域でした。」とラズロは語る。目指すは、ノーマルバイクよりはるかに軽い、乾燥重量142kgという基準。

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レースサーキットから量産モデル生産へ

「数えきれない想い出がそこにあります。」とSix Days GSについて語るラズロ。

レースサーキットから量産モデル生産へ

1978年の選手権では、そういう点でも注目されてきた。オフロードスポーツマンとして、ラズロは自分のバイクにまたがり、すぐに上位入賞者たちの仲間入りを果たす。基礎が築き上げられ、プロトタイプをさらに造り込み、Six Days GSとして知られてるGS 80へと進化を遂げる。1979年のファクトリーエントリーで、このGS 80はドイツのオフロード選手権での勝利と、Six Days GSの世界選手権での2つの金メダルをもたらしたのだ。1980年まで連覇を成し遂げ、最終的にこのチャンピオンバイクはR 80 G/Sという量産モデルの市販化を果たした。

この成功により、BMWはツーリングとサラブレッドエンデューロの新しいセグメントを確立したのである。このバイクを開発したエンジニアチームにも、才能に恵まれたあのラズロ・ペレスの姿があった。通算37年間、BMW Motorradのテスト部門に忠誠を尽くし、レースシーンでの輝かしい栄光の軌跡に貢献した。

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1983年のパリ・ダカールラリー出走のバイクは、タンクとシートベンチが紛失してしまったんです。ところが30年後、元BMWファクトリーライダーのレイモンド・ローゼスがオリジナルパーツを持ち込んで、このバイクを元の形に戻してしまったのです。そのパーツは捨てられていたものをたまたま拾っておいたものだそうです。バイクパーツはとりあえずとっておくものですね。

クラウス・ペパーレル

ダカールへ

ボクサーをトレーニングする最初の年

ディエトマル・ビンハウアー(左)に貴重な展示品を見せるアルフレッド・ハルフェルト(右)。80年と81年のパリダカマシン。

ボクサーをトレーニングする最初の年

パリ・ダカールと呼ばれる砂漠のラリーはたちまち世界中に話題となって広がり、最も過酷なラリーの代名詞となった。2年目にあたる1980年には、BMW Motorradはファクトリーマシンと熟練オフロードライダーをパリのスタートラインに送り込むことに成功。そのライダーたちが、ユーベル・オリオールとフェヌールである。チームの命運を担ったのはモータースポーツディレクターのディエトマル・ビンハウアー。「私にとってBMWでの最大の挑戦となりました。」と回想する。HPNのワークショップで、アルフレッド・ハルフェルドと一緒にパリ・ダカールラリモデルをじっくり眺めながら「最初の年は、ガレージで気心の知れた友人たちとバイク造りを楽しみました。」と当時を振り返るディエトマル。初年度、チームには見習い程度の賃金が支払われるに過ぎなかったが、ボクサーエンジンの性能の高さは、すぐに明らかになった。

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HPNと総合優勝

ユーベル・オリオールが1981年のHPN BMWで、パリ・ダカールラリーでの初勝利をBMW Motorradにもたらした。

HPNと総合優勝

翌年、BMWモータースポーツディレクターは、HPNに3台のR 80 G/Sの改造をオーダー。「バイクを予定通りに仕上げるために、クラウス、そして社名HPNの“N”にあたるパートナーのマイケル・ニーハーと夜通しで作業しました。」と回想するアルフレッド・ハルフェルド。「寝る時間はほとんどありませんでしたが、スケジュール通りに完成させ、準備万端でレースに挑むことができました。」うなずきながら、ディエトマル・ビンハウアーは「レースは事前の準備で勝つのだ、ということを口癖にしているんです。すべてを完全にすることでスタート後に困ることが無いよう徹底しました。最終的にそれが勝利を支えたんだと思っています。」と語った。ユーベル・オリオールは1981年の勝利をチームにもたらし、それこそがR 80 G/Sの名声と栄誉となった。「パリ・ダカールラリーに参加したことで、GSが私たちのメインビジネスになりました。当時のチームメンバー全員が、そのことを誇りに思っています。」

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自分たちのアイコン

シェイクの再会

「これは僕の家にあるべきだろう!」と、いたずらっぽく話すハーバート・シェイク

シェイクの再会

クラウス・ペパーレルが、ハーバート・シェイクに手招きをする。ガレージに見せたいものがあるようだ。整然と並べられた数え切れないほどのBMWラリー用パーツの合間を縫って奥へ進むと、1983年のR 80 G/Sが目の前に現れた。ブラックシャシーを使った唯一のバイク。タンクには当時のスポンサーとして「Le Point」の名が読める。その上にライダー「AURIOL」の名前があるが、Lの字はギリギリ読める程度である。「おお、これは!これは僕の家にあるべきだろう!」と、いたずらっぽく話すハーバート・シェイク。パリ・ダカールラリーで一人二役をした記憶が鮮明に蘇る。1983年に、ハーバートはラリー向けに4台のBMWバイクを造り上げた。オリオール、フェヌール、ローゼス、そして自分のために。当時49歳のハーバートが最年長だった。ユーベル・オリオールは、2回目の優勝のときにバイクを持ち帰り、翌年ハーバートはさらに4台のバイクを造ったのだ。

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記憶の中の栄冠のマシン

ハーバートは、ユーベル・オリオールが1983年に優勝したBMWバイクを造った。

記憶の中の栄冠のマシン

1984年のパリ・ダカールラリーの結果には感無量だった。ラヒエルとユーベルは、ハーバート・シェイクがデザイン〜ビルドアップした軽量かつタフネスなBMWバイクでワンツーフィニッシュを決めた。ローゼスは5位。アマチュアランキングのプライベートライダーに混じってハーバートも優勝した。「あれは人生の中で一番の成功だった。」と語る。実は長いオフロードレース歴を持つハーバートだが、それはパリ・ダカールラリーよりずっと前の話になる。ドイツのオフロード選手権では14勝を挙げ、欧州選手権でも2勝を挙げている。Six Daysラリーで獲った金メダルの数はなんと12個。「Six Daysで25年もやってきて、もう年だから世界選手権には出られないって言われたんだ。それでそこから15年はパリ・ダカールラリーに参加してやった。84歳になる今年もクラシックエンデューロに参戦してるのさ。バイクは1978年以前に造られたヴィンテージでなければならないけど、ライダーはそうでなくてもいい。さすがにもう勝てはしないけどね。」と笑いながら語る。「若いライダーたちは喜んでいるよ。また私とレースするなんて夢にも思ってないから。」

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Six Daysで25年もやってきて、もう年だから世界選手権には出られないって言われたんだ。それでそこから15年はパリ・ダカールラリーに参加してやった。

ハーバート・シェイク

砂漠の家で

シグナルレッドの砂漠キツネ

コンセプト・ラックローズなどの後継バイクのベンチマークとなったHPN BMWの1986年モデル。

シグナルレッドの砂漠キツネ

中庭にあの音が高らかに鳴り響く。エディ・ハウがショールームから1986年の砂漠の覇者を連れ出してきて、エンジンをかけた。聴き間違う筈がない完璧な音色。ボクサーサウンドだ。このボクサーがエディをダカールへと駆り立てた。エンジンの生き生きとした咆哮も確かにすごいのだが、それだけではない。HPNが開発したマルボロとElfのブランドロゴが印象づけるファクトリーマシン「The・レッドシグナル」。2016年の「コンセプト・ラックローズ」のモデルにされたのもまったく不思議ではない。R nineT Urban G/Sに先行したコンセプトバイクは、典型的なラリーウィンドスクリーン、高い位置に設定されたフロントフェンダー、大きなタンク、そして短いラリーシートベンチを継承した。アルパイン・ホワイトを辿る伝説のシグナルレッドに、スタートナンバーの「101」については語る必要もないだろう。

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確実にゴールへ導く

1986年、BMW Motorrad パリ・ダカールラリーワークスチームに参加したエディ・ハウ

確実にゴールへ導く

「BMWに乗ることは、私にとって大きなチャンスでした。」とエディは語る。「オフロードのほぼすべてをやり尽くしてきましたが、パリ・ダカールラリーにはレベルアップして挑む必要があります。このアドベンチャーを、私自身のために心底体験したいと思いました。」彼はガストン・ラヒエルとレイモンド・ローゼスとともにワークスチームの一員となった。優勝した1985年モデルのバイクを少し改良したバージョンでのスタートでは、前回の覇者として連覇を目指すガストン・ラヒエルも参戦。しかし、勝敗の行方は前回とまったく異なるものとなった。ガストンは遅れを撮り、エディは総合8位、BMWライダーの中ではトップという成績だった。「GSの信頼性の高さには驚きました。バイクを信じることが、自分にとって一番大事なことだったのです。」と締めくくるガストン。シーズン後、BMWはラリーから撤退したが、エディの熱は冷めることなく1988年、再びプライベートのHPN BMWでパリ・ダカールラリーに挑戦した。マラソンクラスで優勝を果たし、各紙の一面を賑わせたのだ。

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ボクサーか単気筒か

ダカール5回目の勝利

パリ・ダカールバイク「R 900 RR」とアルフレッド・ハルフェルト、 ベルトールド・ハウザー、クラウス・ペパーレル(左から)。

ダカール5回目の勝利

BMW Motorradが再び1998年のパリ・ダカールラリーに参戦するまで、10年の歳月が流れた。その間、ディエトマル・ビンハウアーは、モータースポーツ部門のディレクター職をベルトールド・ハウザーに譲った。そしてもう一つの根本的な変化が起こる。新参のF 650 GSが選ばれたのだ。「F 650 GSは市場に出たばかりで、ラリーでその価値を見せるためだったのです。」と回想するベルトールド。単気筒はそれまでのモデルよりかなり軽量だったが、先代の成功を再現することはできなかった。「勝利を考える前に、まず困難を味わってからでないとダカールを生き残ることができない。これは不文律だ。」F 650 GSは翌年に勝利を収め、その栄光を勝ち取るための性能があることを実証した。リシャール・サンクがF 650 GSでパリ・ダカに参戦し、BMWに5度目の勝利をもたらしたのだ。「バイクも高く評価できますが、ブランドイメージがとても良くなりましたね。」

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世紀の祝祭パフォーマンス

2001年。BMW MotorradがR 900 RRでパリ・ダカールラリーに参戦した最後の年。

世紀の祝祭パフォーマンス

2000年にBMWは、単気筒と二気筒をレースに参戦させ、驚きの結果を出した。サンクはF 650 GSで1999年に続く連覇、オスカー・ガヤルドは2位、ジャン・ブルシーは4位だった。ボクサーマシン、R 900 RRで出場したジミー・ルイスが3位に入り、上位をBMWが独占したのだ。「極めて過酷で、極めて感動的。」と表現するベルトルードは続けて、「一秒たりとも無駄にできなかった。」と語る。HPNが3台のR 900 RRを手がけた2001年シーズン後、BMW Motorradはラリースポーツから再び撤退する。ベルトルードは17年間、モータースポーツ部門のディレクターを務め、2016年終盤に退職した。「古き良きGSの軌跡は、人々の記憶に深く刻まれ続けるでしょう。」それだけでなく、コンセプト・ラックローズのような後継モデルや新しいR nineT Urban G/Sのようなバイクが伝説を語り継いでくれる。「これは良いことだと思います。80年台の成功で忘れられない魂を揺さぶるような価値を生み出し、叙事詩のように語り継がれる。砂漠を駆けぬけた偉大なレーサーたちが新しいレギュレーションに直面した過去があるからこそ、ダカールのボクサーが伝説として生き続けるのでしょう。」

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GSは魂の相棒だ。一度乗ったら別れることが難しい。歳のせいで歩行器を選ぶことになるまではね。

ベルトルード・ハウザー

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